「聲の形」を読んでみた
2013年2月21日 読書ネットで話題?になっていた漫画を読むためだけにマガジンを買ってみた。
実は初購入。基本コミック派だし、雑誌はネカフェでしか読まないし。
さて、掲載されているのは今週のマガジン、2013年12号。これでも翻案らしいので完全オリジナル版も読んでみたい。
以下、あくまで一消費者としての感想。批評家ぶってるわけではないのであしからず。
面白い作品でも売れる作品でもない、そして、場合によっては掲載した雑誌そのものに批判が来る作品だろう。だが、作品としての重みもあるし、漫画としての魅せ方もうまい。小学生や教師の行動も、倫理的観点から決してあってはいけない状況なのだが、恐ろしくリアルさが出ていると感じる。そういった点で「受賞する作品」である、と納得できるものがある。また、こうした商業雑誌に掲載されるよりも道徳の教材として扱われるほうが向いているのではないかとも思う。(特に5年後の再会部分までにするといっそうそういう感じがある。)
小学生の行動。
集団だからこそ生まれ、醸成される悪意であり、こうした形のいじめはどこにでも起こり得るだろう。焦点を絞るために顔の出るキャラクターは少ないが、<関心を払わない周囲>という表現にもなっているようにみえる。また、いじめの対象者がすり替わり、その行為が継続していく様子もあまりに納得ができる様子だった。
教師の行動。
無責任と切って捨てることは簡単だ。だが、もし自分が教師の立場だったら、と考えると難しい。もちろんきれいごとならいくらでもいえるだろう。しかし、現実として子供たちの行動を変え、状況をよくしていくには・・・と考えると、どのようなことをすれば実効性があるのかわからない。
だが、この教師の行動は一切擁護できない。それだけは断言しておく。
ショウヤに対するいじめも結局卒業まで続きっぱなしだし。
石田ショウヤ(主人公)
まだ救いはあるキャラクターとして描かれている。前半の「いじめる側」としての書かれ方はひどく現実的な人物になっている。「いじられる側」になってからの書かれ方は、少々「漫画の主人公」じみているが、それでもこうでもしなければ物語にはならない。言葉を届け、ノートを渡すために相手を探し、言葉を学ぶ、そうした姿に救いをかんじた。なんせ他の同級生たちはその後がろくに描かれていないし。
漫画として。
読み切りで終わっていい。再開後の青春漫画は正直いらない。高校生になった硝子とショウヤの姿も見たくないわけではないし、連載がされることがあれば、それはそれで障碍者との関係性を描くという意義はあるんだろうが、それではこの読み切りが与える印象を薄めてしまう気がする。
最後に印象に残ったコマ。
・教師の「ったく 誰だよ こんな荷物 寄こしたの・・・」ってセリフ。生々しく大人のエゴが表現されている。
・ショウヤが「イジメに対し心当たりがある人」と問われたときに手を上げかけたコマ(2コマ)。ショウヤがどういった心境で手を上げかけたかはわからない。しかし、少なくとも自分がそうした行動に該当をするという意識があり、「他人事」と切り捨てていないことはわかるシーンだった。
・硝子とショウヤが取っ組み合ってケンカしてるシーンの最後、口元が上がった硝子のコマ。最後の「傷つけあうことでしか伝えられなかった」を表現しているシーン。この一コマには心打たれた。
この作品は作者である大今さんの真のデビュー作ともいえる作品がベースになっているらしい。受賞を狙ってこうした題材を選んだのか、それとも何か訴えたいことがあってこの作品が作られたのか、それはわからない。しかし、この作品に力があることだけは確かだ。これのためだけに雑誌を買う価値はあったと思うし、読めてよかったと思う。
実は初購入。基本コミック派だし、雑誌はネカフェでしか読まないし。
さて、掲載されているのは今週のマガジン、2013年12号。これでも翻案らしいので完全オリジナル版も読んでみたい。
以下、あくまで一消費者としての感想。批評家ぶってるわけではないのであしからず。
面白い作品でも売れる作品でもない、そして、場合によっては掲載した雑誌そのものに批判が来る作品だろう。だが、作品としての重みもあるし、漫画としての魅せ方もうまい。小学生や教師の行動も、倫理的観点から決してあってはいけない状況なのだが、恐ろしくリアルさが出ていると感じる。そういった点で「受賞する作品」である、と納得できるものがある。また、こうした商業雑誌に掲載されるよりも道徳の教材として扱われるほうが向いているのではないかとも思う。(特に5年後の再会部分までにするといっそうそういう感じがある。)
小学生の行動。
集団だからこそ生まれ、醸成される悪意であり、こうした形のいじめはどこにでも起こり得るだろう。焦点を絞るために顔の出るキャラクターは少ないが、<関心を払わない周囲>という表現にもなっているようにみえる。また、いじめの対象者がすり替わり、その行為が継続していく様子もあまりに納得ができる様子だった。
教師の行動。
無責任と切って捨てることは簡単だ。だが、もし自分が教師の立場だったら、と考えると難しい。もちろんきれいごとならいくらでもいえるだろう。しかし、現実として子供たちの行動を変え、状況をよくしていくには・・・と考えると、どのようなことをすれば実効性があるのかわからない。
だが、この教師の行動は一切擁護できない。それだけは断言しておく。
ショウヤに対するいじめも結局卒業まで続きっぱなしだし。
石田ショウヤ(主人公)
まだ救いはあるキャラクターとして描かれている。前半の「いじめる側」としての書かれ方はひどく現実的な人物になっている。「いじられる側」になってからの書かれ方は、少々「漫画の主人公」じみているが、それでもこうでもしなければ物語にはならない。言葉を届け、ノートを渡すために相手を探し、言葉を学ぶ、そうした姿に救いをかんじた。なんせ他の同級生たちはその後がろくに描かれていないし。
漫画として。
読み切りで終わっていい。再開後の青春漫画は正直いらない。高校生になった硝子とショウヤの姿も見たくないわけではないし、連載がされることがあれば、それはそれで障碍者との関係性を描くという意義はあるんだろうが、それではこの読み切りが与える印象を薄めてしまう気がする。
最後に印象に残ったコマ。
・教師の「ったく 誰だよ こんな荷物 寄こしたの・・・」ってセリフ。生々しく大人のエゴが表現されている。
・ショウヤが「イジメに対し心当たりがある人」と問われたときに手を上げかけたコマ(2コマ)。ショウヤがどういった心境で手を上げかけたかはわからない。しかし、少なくとも自分がそうした行動に該当をするという意識があり、「他人事」と切り捨てていないことはわかるシーンだった。
・硝子とショウヤが取っ組み合ってケンカしてるシーンの最後、口元が上がった硝子のコマ。最後の「傷つけあうことでしか伝えられなかった」を表現しているシーン。この一コマには心打たれた。
この作品は作者である大今さんの真のデビュー作ともいえる作品がベースになっているらしい。受賞を狙ってこうした題材を選んだのか、それとも何か訴えたいことがあってこの作品が作られたのか、それはわからない。しかし、この作品に力があることだけは確かだ。これのためだけに雑誌を買う価値はあったと思うし、読めてよかったと思う。
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