世界の救い方

2011年7月13日 ゲーム
結果的に世界を救うRPGでよくある(?)対立

?一部を切り捨て世界救済vs小さな可能性にかけて(あるいは未だに目の前に出てない)全てを救う手段を選ぶ
基本的に主人公は後者。で、見事ハッピーエンド。文句はないんだが、ふと考えたのは、もし同じ目的(世界を救う)を目指しているとき、「今、この瞬間に多数の犠牲を出すことにより求める結果に比較的早く到達でき、最終的な犠牲は少なくなる方法」と「今は結論を出さずに犠牲は出つづけるが、求める結果を早く得て犠牲を少なくする方法を探し続ける」の二択ではどちらがより良い選択なのだろうか。(ま、最初に出した二択を言い換えただけなんだが)
ゲームなら必ず後者を選べる。なぜなら多くの場合この「方法」が用意されているからだ。しかし、もし現実ならどうかと考えると…。特に犠牲になる側に自分や身内、利権が絡んだら…。
別に今の政治家とかを擁護するわけじゃないけど。なぜなら彼等は[そうすべき立場]であることが前提だと考えているので。
ただ言えるのは、例えゲームの中だけとはいえ、何も悩まずに後者を選ぶ主人公(及びそのパーティー)はいやだなって思う。後者は結論を先送りにした結果、その求める最良の方法が見つからない可能性もあるし、その時には「今、この瞬間に多数の犠牲を出すことにより求める結果に比較的早く到達でき、最終的な犠牲は少なくなる方法」もとれなくなり、犠牲が多くなる可能性もある。
主人公たちは戦う[力]は歩けど、世界の多くの[人]は必ずしもそうではないのだから。

?「全人類の自我を一つに溶け合わせる(又は肉体を捨て、一つの精神体となる)」vs「対話を続け、個と個の世界を続ける」
主人公は(基本的に)後者が多い。前者で有名なのはエヴァかな?前者は肉体を捨て、精神体となることで[永遠(不死)]を得ることができるオプションがつくことが多い気がする。
このパターンは精神体をゴールとして立ち止まるか、個を保ち進み続けるか、という対立になることもある。
基本的に俺は後者の立場。わかりあえないこともあるし争いは絶ることはないだろうけど、それでも自分と相手がいる、その間にこそ<世界>はあると思うので。
ただ世界の行く末を決める瞬間に何も悩まず、その選択とその後になんの責任も持とうとしない主人公はいやだな。(その点精神を一つにするタイプは責任もクソもないからやったもん勝ちな感じだな)
ギアスでもこれに類似した対立があったが、主人公サイドはその選択に対しキッチリ責任を果たそうとしているのが好印象だな。(世界が平和になってメデタシメデタシとしてないのも良いね。あくまで「対話のテーブルにつける状態」としてるのがいいとこだと思う。)

結論として、世界を救う手段を選ぶときに悩まない主人公ってやだなって話。皆さんはどう考えます?



いや、本当にふと考えたのを書いただけなんで深い意味はないんだけどね。
しかし、ケータイで書いたから時間はかかる(20分位)し親指は疲れるし。

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